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章なし
問題
中世から近世初期までの政治・社会に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)
1232年、鎌倉幕府の執権北条泰時の弟重時は[ ⓐ 六波羅探題 ]の任についていた。この年、7月に泰時らによって御成敗式目が制定される。その約2か月後、[ ⓑ 京都 ]に滞在していた重時に泰時が送った書状には、式目を制定するにあたっての考え方として、次のようなことが記されていた。 史料 さて、この式目をつくられ候事は、なにを本説(注1)として注し載せらるるの由、人さだめて謗難(注2)を加ふる事候か。まことにさせる本文(注3)にすがりたる事候はねども、ただ[ ア ]のおすところを記され候者也。・・・ [ イ ]の人への計らひのためばかりに候。これによりて、京都の御沙汰、[ ウ ]のおきて、卿かもあらたまるべきにあらず候也。・・・ (注1)本説:根拠 (注2)誘難:非難 (注3)本文:典拠になった文。
[ ⓐ ]に関して述べた次の文a〜dについて、正しいものの組合せを、下の選択肢のうちから一つ選べ。
a 六波羅探題は、朝廷の監視や西国御家人の統轄を担った。 b 鎌倉幕府は、正中の変を機に六波羅探題を設置した。 c 宝治合戦で台頭した三浦氏は、六波羅探題の任につくようになった。 d 御家人の足利高氏(尊氏)は、六波羅探題を攻め落とした。
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