全部で10問 挑戦中

章なし

問題

次の文章は、「近代日本における洋装」というテーマで調査発表をすることになった、史央理(しおり)さんと由華梨(ゆかり)さんとの会話である。この文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

---------------------
史央理:この前の成人式で振袖を着た姉が、普段は洋服しか着ないから、着付けに時間がかかって大変だったといっていたよ。今の日本では洋服が普段着だけど、その始まりは文明開化なのかな。
由華梨:そういえば、[ ア ]などの安政の五か国条約の改正予備交渉にのぞもうとした岩倉使節団の写真を見たことがあるよ。大使の岩倉具視を除いて、副使たちは洋装だった。近代化を進める政府の姿勢をあらわしているようだね。
史央理:自由民権運動の演説会を描いた絵(図1)でも、洋装をした警察官が和装の弁士を制止している。[ ①官と民の対比 ]がうまく描かれているね。
由華梨:男性に比べると、女性の洋装化比遅れたみたい。日本髪は洋服と釣り合いがとれないのに、女性の断髪が禁止されていた時期もあったんだって。
史央理:へえ、そうなんだ。男性には散髪が奨励されて、文明開化の象徴とされたのとは対照的だね。日本髪を結ったまま生活するって、すごく大変そう。
由華梨:そこで女性にも[ ②束髪という髪型を広める運動 ]が起きたんだ。束髪は日本髪と比べて手軽で自由に結えて、洋装でも和装でも使える便利さから、あっというまに広まったんだって。日露戦争で日本軍が[ イ ]を占領した頃に流行した「二百三高地」など、世相を反映した束髪もあったよ。
史央理:和服よりも、洋服のほうが運動性にもすぐれているよね。女性が社会で広く活動できるようになるには、服装や髪型にも工夫が必要だったのね。
---------------------

[ ① ]に関連して、明治期における政府と政党との関係について述べた文として正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

  • (1)

    • 大隈重信は明治六年の政変で下野したのち、立憲改進党を結成した。

    • 自由党は日清戦争後も一貫して政府と対立し、軍備拡張予算に反対した。

    • 政府が提出した地租増徴案に反対して、自由党と進歩党が立憲政友会を結成した。

    • 日本社会党が結成されると、政府はこれをいったん認めたが、解散を命じた。