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章なし

  • 東アジアの文化と受容

    33%

※数字(%)は出題頻度

古代の思想・信仰と政治・社会との関係に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。

 6世紀なかばに百済の聖明王から仏像や経典が伝えられると、仏教は豪族の間に次第に広まっていった。6世紀末には[ ア ]氏が飛鳥寺(法興寺)を建立し、また7世紀には大王自らも寺院を造営しはじめた。こうした流れのなか、ⓐ7世紀後半に開始された法典編さんの到達点として、8世紀初めに完成した律令では、僧尼に関する規則が細かく定められ、仏教は国家の制度のなかに明確に位慨づけられることとなった。
 仏教が地方社会に浸透していくうえでの一つの拠点となったのは、律令制下で[ イ ]として行政を担うことになる地方豪族が建てた寺院であった。そうした寺院の一つに現在の広島県三次市にあったとされる三谷寺がある。仏教説話集『日本霊異記』によれば、百済救援の軍に加わった豪族が僧をともなって帰還し、建立したのが三谷寺であったという。ⓑ東アジアの変動と深くかかわりあいながら、仏教が受容されていったことを伝えてくれる事例である。
下線部ⓑに関連して、古代における東アジア諸国からの文化や技術の受容に関して述べた次の文a〜dについて、正しいものの組合せを、下の選択肢のうちから一つ選べ。
a 5世紀には、進んだ技術をもつ渡来人が陵戸に編成された。
b 6世紀には、百済から渡来した五経博士をはじめとする諸博士が、儒教や暦法などを伝えた。
c 7世紀には、百済からの亡命貴族の影響もあり、漢詩文が作られるようになった。
d 8世紀には、遣唐使は遭難の危険が少ない朝鮮半島沿岸を通過するようになった。
  • (1)

    • a・c

    • a・d

    • b・c

    • b・d

解説

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  • (1)
    a 誤り。陵戸ではなく「伴造や伴」。陵戸は五色の賤の一つで陵墓を守る役割。
    b 正しい。
    c 正しい。
    d 誤り。新羅との関係悪化により朝鮮半島沿岸の北路から、「危険な東シナ海の南路」を通過するようになった。
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