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章なし

問題

中世から近世初期までの政治・社会・文化に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

 1467(応仁元)年、幕府管領家である畠山・斯波両家の相続争いと、将軍家の相続争いが結びつき、諸大名をまきこむ応仁の乱が勃発した。それに引き続いて起こった地方の争乱のなかから、新たな支配者である戦国大名が登場した。彼らのなかには、ⓒ家臣団の統制や流通の円滑化をはかるため、法を定める者があった(史料1、史料2)。
 戦国時代から近世初期の戦闘方法に注目すると、『長篠合戦図扉風』に描かれた鉄砲隊のように、ⓓヨーロッパ人の日本への来航の影響による変化があった。また、この時期には城に毛変化がみられた。ⓔ防御を優先した山城から、政治経済などの利便性を優先して、城下町をもった平山城・平城へと変化し、大きな石を積み上げた石垣で囲まれるようになった。
下線部ⓔに関して、戦国から近世初期の城・町について述べた文として誤っているものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • (1)

    • 織田信長は、近江国に天守閣(天主)をもつ城を築いた。

      正しい。
    • 豊臣(羽柴)秀吉は、石山本願寺跡に大坂城を築いた。

      正しい。
    • 伊勢国の大湊は城下町として栄え、自治的に運営された。

      誤り。城下町ではなく「港町」。
    • 浄土真宗の寺院を中心とした寺内町が、建設された。

      正しい。