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章なし
問題
次の文章は、大学生Kとその友人Hの日記の一部である。この文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)
Hの日記1月23日 Kから日記の話を聞いた。日記といえば、紀貫之の『土佐日記』のような、[ ウ ]で書かれた日記について調べればよいと思っていた。ところが、もっと広く考えなければならないようだ。古代から、役所ではのちの参照に備えて職務日誌がつけられ、これらも日記よばれた。鎌倉幕府の歴史書『[ エ ]』も、幕府内部のこのような記録や貴族刀日記などを参照しているらしい。 一方、江戸時代の村には、庄室の日記などが残されている例がある。それらには、ⓒ人々の暮らしに直結する災害や米価の変動など、村や家を継ぐ子孫に伝えるべき経験や歴史も記されている。このように日記には、多様な情報が盛り込まれており、当時の社会や生活をうかがう重要な手がかりになる。だから歴史研究の史料にもなるわけだ。 自分の気持ちを率直に書いている日記の場合でも、他人の目を意識していることがある。たとえばⓓ自由民持運動に参加し、女性の地位向上につとめた岸田俊子は、他人が自分の日記を見れば「無学無識」をあざけるだろうが、「吾は死後の名は少しも思い煩うものにあらず」と書いている。彼女はのちに自らの日記が読まれることを想定しているようだ。 日記はたしかに重要な史料だ。書かれた内容だけでなく、書いた人の境遇や、書かれた時代にも目を向けていくと、もっといろいろなことがわかってくるだろう。
下線部ⓓに関連して、女性と社会のかかわりに関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の選択肢のうちから一つ選べ。
X 学制公布直後から、女子の就学率は男子とほぼ等しかった。 Y 市川房枝らが新婦人協会を結成し、女性の政治参加を主張した。
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解説
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