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章なし
問題
次の文章は、「近代日本における洋装」というテーマで調査発表をすることになった、史央理(しおり)さんと由華梨(ゆかり)さんとの会話である。この文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)
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由華梨:女性の洋装化が遅れるといっても、1920年代にはモダンガールが登場するし、職業婦人が洋服で仕事をする姿もみられたじゃない。パーマが人気を集めて、1939年までに美容院が東京では850軒もできたんだって。
史央理:1925年5月に銀座を歩く女性の服装を調べたら、洋装はわずか1%だったという数字もある。このとき男性の洋装率は67%だったそうだよ。
由華梨:それは第一次世界大戦期に、[ ①第二次・清三次産業の男性労働者が増加した ]側面もあると思う。
史央理:サラリーマンには通勤着として洋服が浸透していくようだけど、家庭のなかだと男性も和装をしていたみたいだね。
由華梨:戦後になると、女性でも洋装の人がずいぶん増えたみたい。[ ②戦時中には、和服よりも活動性にすぐれているモンペの着用が、女性の間で進んで ]、洋装への抵抗感が小さくなっていたのかもね。
史央理:ミシンが普及したり、洋裁学校へ通う人が増加したりして、女性が家庭で洋服を作るようにもなったよ。
由華梨:洋装の普及は人々の生活の変化と密接にかかわっていたんだね。[ ③車星経済成長期 ]の消費革命で服装がどのように変わったのか、さらに調べていきたいな。
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[ ① ]に関連して、1910〜30年代の労働者にかかわる組織に関して述べた次の文I〜Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の選択肢のうちから一つ選べ。 I 労働者の地位向上と労資協調をとなえた友愛会が結成された。 Ⅱ 日本労働総同盟は、産業別の編成をとり、頻発する労働争議を指導した。 Ⅲ 職場ごとに、労資一体の産業報国会が結成された。
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