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章なし

  • 政治抗争

    33%

※数字(%)は出題頻度

古代の思想・信仰と政治・社会との関係に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。

 8世紀から9世紀にかけてのⓒあいつぐ政治抗争を通して、政争に敗れ非業の死をとげた人々の霊(怨霊)が飢饉や疫病などのたたりをなすとの考えが形づくられた。それは、疫神をまつることで疫病から逃れようとする信仰と結びつき御霊会の開催へとつながっていった。催された御霊会では、怨霊や疫神を慰めるために読経が行われており、平穏な暮らしへの期待が仏教とも結びついていたことをうかがわせる。
 その一方で、10世紀頃から、この世の不安から逃れて来世で浄上に往生することを願うⓓ浄土信仰が、階層を問わず多くの人々の心をとらえるようになった。貴族層による大規模な阿弥陀堂の造営も行われたが、そうした造寺の背景にはⓔ地方支配の変容により権限を強化された受領の財力があった。
 このように、中央・地方における政治や社会の動向とかかわって、新たな信仰が形成され、人々の間に広まっていったのである。
下線部ⓒに関して述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の選択肢のうちから一つ選べ。
I 造都を主導していた藤原種継が暗殺され、早良親王が首謀者として処罰された。
Ⅱ 三筆の一人として知られる橘逸勢が、謀反を企てたとして流罪になった。
Ⅲ 政権を批判して九州で反乱を起こした藤原広嗣が敗死した。
  • (1)

    • ⅠーⅡーⅢ

    • ⅠーⅢーⅡ

    • ⅡーⅠーⅢ

    • ⅡーⅢーⅠ

    • ⅢーⅠーⅡ

    • ⅢーⅡーⅠ

解説

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  • (1)
    I 785年。藤原種継が暗殺された。
    Ⅱ 842年。承和の変。
    Ⅲ 740年。藤原広嗣の乱。
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