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章なし

  • 日本とオリンピック

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※数字(%)は出題頻度

日本とオリンピックとのかかわりに関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

 日本がはじめてオリンピックに参加したのは1912年の第5回ストックホルム大会で、日本選手はわずか2名であった。1920年代になるとⓐ国際連盟や多国間の条約のもとで国際平和がめさされるなか、オリンピックには参加国が増え、内容も充実していった。しだいに日本選手の競技力も高まり、第9回アムステルダム大会(1928年)では、2選手が金メダルを獲得し、初の女性選手である人見絹枝(ひとみ きぬえ)も銀メダルを獲得する活躍をみせたのである。
 こうしたなか、ⓑ関東大震災からの復興を遂げた東京ではオリンピック誘致の気運が高まり、1931年の市会による建議をうけて、オリンピック開催都市に名乗りをあげた。翌年の第10回ロサンゼルス大会に際しては、ⓒ満州事変後の厳しい国際世論のなかにあって、日本は前回の3倍を超える大選手団を送り込み、好成績を収めた。政情不安や不況が続くなか、国民は国際舞台での日本選手の活躍に喝采を送った。
下線部ⓒに関連して、満州事変前後の出来事に関して述べた次の文I〜Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の選択肢のうちから一つ選べ。
I 犬養毅首相が海軍将校らに殺害された。
Ⅱ 日中両軍の間で塘泊停戦協定が結ぼれた。
Ⅲ 金輸出を解禁し、金本位制に復帰した。
  • (1)

    • ⅠーⅡーⅢ

    • ⅠーⅢーⅡ

    • ⅡーⅠーⅢ

    • ⅡーⅢーⅠ

    • ⅢーⅠーⅡ

    • ⅢーⅡーⅠ

解説

解説はこの設問にすべて回答すると表示されます。

  • (1)
    I 犬養毅首相の殺害→1932年。
    Ⅱ 塘泊停戦協定→1933年。
    Ⅲ 金本位制に復帰→1930年。
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