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章なし

問題

幕末から明治期の大坂(大阪)に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。

 近世の大坂は、諸藩の蔵屋敷が置かれ、全国的な商業・金融の中心として栄え、幕末には京都とともに政治の主要な舞台となった。1863年以降は、西上した将軍[ ア ]が大坂城や京都の二条城に滞在し、長州征討(長州戦争)では多数の幕府方の軍が大坂の町家・寺院に駐留して、民衆の生活を圧迫した。特に1866年には凶作とあいまって米価が高騰し、ⓐ民衆は多くの米屋を襲った。また同年に[ ア ]が大坂城で病死し、将軍職を継いだ徳川慶喜も同城で政務を執った。
 新政府の成立直後に、ⓑ大久保利通が大阪への遷都を唱えた。これは、即位したばかりの[ イ ]を守旧的な公家から引き離すことに加え、大阪の海陸交通の便利さも重視してのことであった。しかし、大阪への遷都は行われず、明治初年の大阪経済は、新政府による多額の御用金賦課、諸藩債務の破棄やその返済の長期化、蔵屋敷の廃止などで打撃を受けた。その後ⓒ薩摩出身の五代友厚や各地からの実業家と在来の大阪商人とが協力して、大阪商法会議所を創設し、大阪経済は復興していった。
下線部ⓑについて述べた文として正しいものを次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • (1)

    • 幕末期に、木戸孝允とともに長州藩の中で実権を握った。

    • 岩倉使節団を送り出したあとの国内政治を担当した。

    • 警察や地方行政などを管轄する内務省を設置した。

    • 西郷隆盛と大阪会議を開き漸進的な国会開設方針を決めた。