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章なし

問題

近世の上方

近世の文化・政治・社会に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

 [ ア ]は本名を杉森信盛といい、1653年生まれといわれているが、幼少期のことはあまりよくわかっていない。父の杉森信義は越前吉江藩に仕える武士であったが、のち浪人となる。信盛については10代後半には京都に住み、公家に仕えていたことがわかっている。この時期のⓐ上方は経済先進地として栄え、かつ文化の中心でもあった。
 やがて彼は武士身分を捨て、宇治加賀掾(じょう)一座のもとで歌舞伎や浄瑠璃の作者となり、浄瑠璃の竹本義太夫や竹田出雲、歌舞伎の坂田藤十郎に作品を提供するようになった。代表作として、世話物では『曽根崎心中』『心中天網島』、時代物では『国性爺合戦』などがある。『国性爺合戦』は、日本で生まれた鄭成功が中国大陸へ渡り、滅亡した[ イ ]の再興をめざし、日本に援兵を要請したという史実を題材にした作品である。規模が壮大で異国情緒もあり、人気を博した。
 当時は上方を中心に、彼に代表される文芸をはじめとして、芸能や学問ⓑ美術工芸など多彩な文化が発展した。
下線部ⓐに関連して、近世の上方について述べた文として正しいものを次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • (1)

    • 京都の豪商である末次平蔵は、富土川や賀茂川の整備を行った。

      誤り。末次平蔵ではなく「角倉了以」。末次平蔵は長崎の豪商。
    • 元禄期には大坂堂島の十組問屋が、幕府に公認された。

      誤り。十組問屋ではなく「二十四組問屋」。十組問屋は江戸の荷受問屋。
    • 上方で生産された醤油が、幕末まで江戸の市場を独占した。

      誤り。幕末には関東で生産された醤油も流通するようになった。
    • 蝦夷地や日本海側の産物が、北前船で上方へ運ばれた。

      正しい。