近世の上方
近世の上方に関する問題の一覧です。出題傾向を把握したり、出題頻度を確認して、効率的に勉強しよう!
近世の上方の出題頻度
33%
公開中の3テストにつき1回出題
出題頻度は高いです。3回に一回以上出題されています。正解できると合格率がUP!何度も挑戦しましょう!
「近世の上方」に関する問題一覧
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(1)近世の文化・政治・社会に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)
[ ア ]は本名を杉森信盛といい、1653年生まれといわれているが、幼少期のことはあまりよくわかっていない。父の杉森信義は越前吉江藩に仕える武士であったが、のち浪人となる。信盛については10代後半には京都に住み、公家に仕えていたことがわかっている。この時期の<u>ⓐ上方は経済先進地として栄え</u>、かつ文化の中心でもあった。
やがて彼は武士身分を捨て、宇治加賀掾(じょう)一座のもとで歌舞伎や浄瑠璃の作者となり、浄瑠璃の竹本義太夫や竹田出雲、歌舞伎の坂田藤十郎に作品を提供するようになった。代表作として、世話物では『曽根崎心中』『心中天網島』、時代物では『国性爺合戦』などがある。『国性爺合戦』は、日本で生まれた鄭成功が中国大陸へ渡り、滅亡した[ イ ]の再興をめざし、日本に援兵を要請したという史実を題材にした作品である。規模が壮大で異国情緒もあり、人気を博した。
当時は上方を中心に、彼に代表される文芸をはじめとして、芸能や学問<u>ⓑ美術工芸</u>など多彩な文化が発展した。
平成29年度(2017年)本試験 過去問[解説付き]