幕末から明治期の大坂
幕末から明治期の大坂に関する問題の一覧です。出題傾向を把握したり、出題頻度を確認して、効率的に勉強しよう!
幕末から明治期の大坂の出題頻度
33%
公開中の3テストにつき1回出題
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「幕末から明治期の大坂」に関する問題一覧
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(1)幕末から明治期の大坂(大阪)に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。
近世の大坂は、諸藩の蔵屋敷が置かれ、全国的な商業・金融の中心として栄え、幕末には京都とともに政治の主要な舞台となった。1863年以降は、西上した将軍[ ア ]が大坂城や京都の二条城に滞在し、長州征討(長州戦争)では多数の幕府方の軍が大坂の町家・寺院に駐留して、民衆の生活を圧迫した。特に1866年には凶作とあいまって米価が高騰し、<u>ⓐ民衆は多くの米屋を襲った</u>。また同年に[ ア ]が大坂城で病死し、将軍職を継いだ徳川慶喜も同城で政務を執った。
新政府の成立直後に、<u>ⓑ大久保利通</u>が大阪への遷都を唱えた。これは、即位したばかりの[ イ ]を守旧的な公家から引き離すことに加え、大阪の海陸交通の便利さも重視してのことであった。しかし、大阪への遷都は行われず、明治初年の大阪経済は、新政府による多額の御用金賦課、諸藩債務の破棄やその返済の長期化、蔵屋敷の廃止などで打撃を受けた。その後、<u>ⓒ薩摩出身の五代友厚や各地からの実業家と在来の大阪商人</u>とが協力して、大阪商法会議所を創設し、大阪経済は復興していった。
平成29年度(2017年)本試験 過去問[解説付き]