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章なし

  • 室町時代の対外関係

    33%

※数字(%)は出題頻度

中世の政治・社会・文化に関する次の文章を読み、下の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

 長期化していた南北朝の内乱も、足利義満の時代には終息に向かった。この時期には幕府機構の整備も進み、将軍を補佐する[ ア ]には、足利一門の有力守護が交替で任命された。義満は軍事・財政にも力を入れ、[ イ ]とよばれる直轄軍を編成し、地方の幕府直轄領を管理させた。幕府はこの直轄領からの収入のほか、京都の金融業者や流通業者に課税し、財源としたが、その背景には、ⓓ地方での諸産業の発達と、それにともなう商業・流通の活発化がある。
 義満の施策は宗教にもおよび、南宋の制度にならって五山の制を整えた。これは禅宗保護策であると同時に、住職の任免などを通じた、幕府による仏教統制策でもあった。
 こうしたなかで禅宗はおおいに栄え、禅僧のなかには幕府から政治顧問として重用されたり、外交使節に任じられたりする者もいた。ⓔ禅宗寺院は政治、文化などさまざまな面で、中国との交流の窓口になった
下線部ⓔに関連して、室町時代の対外関係について述べた文として正しいものを次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • (1)

    • 朝鮮は日本に対し、倭寇の取締りを求めた。

      正しい。
    • 足利義持は、朝貢形式をきらって朝鮮との関係を絶った。

      誤り。朝鮮ではなく「明」。
    • 日本は書籍や陶磁器をおもに輸出し、中国から刀剣や屏風をおもに輸入した。

      誤り。書籍や陶磁器を「輸入」し、刀剣や屏風を「輸出」した。
    • 水墨画が中国から伝えられ、如拙や藤原隆信らが活躍した。

      誤り。如拙や「雪舟」が室町時代に水墨画を描いた。藤原隆信は鎌倉時代に似絵を描いた。
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